「デザインする状況をデザインする」を移動しながら考えるシンポジウム・ワークショップの開催
DESIGNEAST05 CAMP in Arita -RENOVATING CITY-
2014年9月21日、DESIGNEAST05は佐賀県西松浦郡有田町各所にて開催された。
共催:DESIGNEAST有田実行委員会(松尾佳昭/小松大介)、ロゴデザイン:三迫太郎(FLUORO)を中心に、ものづくり拠点から創造的な都市へとの変容の可能性を検討すべく「RENOVATING CITY」についてフィールドワークと多角的な議論が展開された。
日本の磁器発祥の地である有田町は佐賀県の西部に位置する人口2万人程度の町であり、1616年に始まった有田焼の歴史はもうすぐ400年を数える。江戸時代には国内の献上品として、あるいは海外への高級輸出品として発展したそのものづくりの経緯は、今日の有田焼の高い技術力と伝統に明らかであろう。他方、町の根幹産業である陶磁器は出荷数がピーク時の1/3とも言われ、危機的状況下にある。毎年GWの時期に開催される有田陶器市期間中は1年の中で町が一番活気づくという話を聞いたが、その期間は1週間程度である。むしろ我々が興味をもったのは、市がたてられていない1年の残りの時期だ。重要伝統的建造物群保存地区に選定された有田千軒と呼ばれる美しい市街地や製陶所のみならず、そこで暮らす人々の経験を知ることを通して「ものづくりのまちのまちづくり」を考えるべく、一路博多からハウステンボス号で有田駅へと赴いた。
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ハウステンボス号にゆられて1時間とすこし、かつて肥前と呼ばれていた地域を西へ移動し、ちらほら製陶所の煙突がみえてくれば有田町だ。ここが会場として選ばれた理由には、DESIGNEAST実行委員の柳原照弘がこれまでarita 1616などのプロジェクトを手がけたり、佐賀県有田焼創業400年記念事業に携わってきたことにその端を発する。周知の通り、肥後(今の熊本)とあわせて成立した地域=火国(後の肥国)が7世紀末までに分割され、できたのが肥前(今の佐賀)である。そして怪談でもその名を馳せる鍋島家が肥前を佐賀藩として統治するようになってからは江戸時代、陶磁器などの交易によって有田は財をなした。柳原がオランダとの連携を図ったのも、以上のような九州北部の重厚な歴史の上に立脚したものであることが理解されよう。
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しかし、意外なことに有田焼が伊万里港から出荷されたために伊万里焼とも呼称されたこと、また、伊万里焼は場合によっては三川内焼や波佐見焼などを含むこともあることなど、その定義は不明瞭な部分がある。そこで、有田の都市形成に大きく関わった磁器の歴史をまずはひもとくことからDESIGNEASTはスタートした。有田駅前にて集合後、上有田へ電車で移動した我々はまず泉山磁石場へと赴いた。かつて山だった面影をほとんど感じさせない人工的な窪地となりはてた磁石場を見つつ、歴史民俗資料館館長の尾崎さんから有田の歴史に関する簡単な講義をしていただいた。李参平によって白磁に適した磁器の原料、磁土が眼前に広がる泉山にて発見されてから約400年、有田焼が如何に高い社会的・経済的・技術的・歴史的価値を帯びた製品であったのかを講義していただいた後、参加者、チームリーダー、実行委員らがグループとなってフィールドワークが開始された。泉山磁石場から有田町の陶磁美術館まで、5チームに分かれた我々は街を縦横無尽に歩き、様々なアーティファクト(拾遺物)を発見することができた。
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私が参加したチームは路地を中心に、「石」にまつわる話を伺いつつ市街地のフィールドワークを行った。磁器、トンバイ塀などの壁、街路の舗装など、テクスチャとして有田町の景観を構成する様々な無機物の表情を見ながら、その用途や地形などを話しつつ歩いた。チームには地元出身の方が複数いたため、路地を歩きながら伺った話には「小学生だったころの路地の歩き方」などが印象的であった。曰く、小学生のころは「ハマ」を探して歩き、見つけては川で投げて遊んでいたという。聞き慣れない「ハマ」という人工物は、磁器を焼成する際ゆがみ等を調整するために一緒に焼かれる小さな磁器製の台だそうだ。直径6-7センチ程度の小さな丸いお皿のような形状をしたハマは、確かにいかにも水切りにふさわしい形状をしている。その話を聞いてからは、ハマを私も探すことにしてみた。よく見ると、至るところにハマはあることがわかった。なぜ町中の至る所にハマが落ちているか、その理由は不明のままだった。だがハマを探し始めたことで私は徐々に、しかし確かに予想もしなかった有田を経験することができた。
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ハマを探しながら路地を歩いていて気になったのはその独特の地形と景観である。有田町は表通りにあたる道に対して平行に裏通りが走り、裏通りと表通りを直角に結ぶ路地をジグザグに歩くことになる。表通りはちょうど谷のくぼみ部分にあたり、表通りから直角に離れていくと傾斜はきつくなり山へと至る。スノーボードのハーフパイプのような動線を持つ山間の街である有田町の車の往来は表通りに集中し、路地に車が入ることはあまり想定されない。道が細すぎて入れないところも散見され、あたかも「島」にいるかのような密度がそこにはあった。こうして人間的なスケールを維持する裏通りが地形と呼応しつつ残っていることが体験できたが、一時的な滞在者としての私が入れそうな路地の「いい店」はほとんど見当たらなかった。裏と表をつなぐ路地のように「うつわ」と「なかみ」をつなぐ食文化の痕跡を見つけようとしても、それも同様に見当たらなかった。
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さて、陶磁美術館に到着してから我々は藤巻製陶にバスで移動し、製陶作業スペースの見学後そのまま同じ場所でフィールドワークのまとめセッションやディスカッションを開催した。有田町の町長も来場された中、外部者としての我々が理解する有田とは何か、そしてどのような課題や可能性があるのかを公開ポストイットセッションとして議論した。各チームのフィールドワーク成果を前提にしたポストイットセッションでは、ハマ探しが宝探しをするかのように町の見方を変容しえることや、地形に根ざした新しい町の体験が提供しえることなど、地元出身の方が価値として感じてこなかったことをどのように価値として可視化しうるかについて議論が盛り上がりセッションは終了した。
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RENOVATINGと現在進行形で題されたDESIGNEAST05 CAMP in Aritaは、町を構成する諸要素を明らかにした上でこれからの有田町に何が可能なのか、みんなで何が提案可能かを考える動きそのものであった。偶然にも2014年9月、日本政府は「地方創生」を成長戦略に掲げたが、「ものづくり立国」である日本は単なる「工場の集積体」ではない。歴史に支えられた日本のものづくりの価値を回復することとは、価値として見えづらいものづくりの背景にある美学を如何に可視化するかにかかっているのではなかろうか。
観光社会学を研究するジョン・アーリは、観光客がまなざしをおくる対象の特徴に以下の6つをあげている:
1)無比なもの(聖地化された対象を見る:「スカイツリー」など)
2)特殊な記号(対象をシニフィアンとして見る:「日本の原風景の田んぼ」など)
3)見慣れたものの見慣れていない面を見る(博物館など)
4)普通でない文脈で展開される普通の社会生活を見る(異国など)
5)普通でない視覚環境の中で、普通の仕事や行動をする(海の家など)
6)「特別な記号」を見る行為(有名な画家の作品鑑賞など)
観光だけが都市に外部者を招き入れる要素ではないとはいえ、有田は内部者と外部者が出会う場としての「表通り」と内部者がリラックスする場としての「裏通り」、双方を横断する「まなざし」によって経験される町のあり方を検討する必要があるだろう。幻想と現実、本物と偽物の差異を重視しないインターネット前提時代の外部者とはどのような物語であれ享受する存在であり、そこに唯一求められるのは固有の美学ではなかろうか。そしてそれは単一のものや記号によって消費されるのではなく、町全体がつくる文化によって構成されうるものではなかろうか。
有田のもつ重厚な歴史に根指した革新によって再発見される美学、それを考える場が今後どのような展開を見せるのか今後も注視していきたい。最後になるが、美しい町並みに潜む宝を教えてくれた参加者の皆様や実行委員の皆様に感謝したい。
ありがとうございました。
2014年10月1日 有田から遠くはなれた鎌倉にて
水野 大二郎
Mobile symposiums and workshops to discuss the situations surrounding design